死者を鞭打て
ここ数日、いじめで自殺する子供のニュースが連続して報道されています。この手の事件が取り沙汰される度に、私はその報道のされ方に疑問を覚えてしまいます。
話題が話題なだけに、こういった不特定多数の目に触れるかもしれない場に意見を載せるのには正直ためらいもあります。ですが、これを読まれた方が、いじめの問題について少し考えてみようかな、という気になる、そのきっかけにしていただければ意味もあるかと思い、書き込むことにしました。
以下の文章を読まれて気分を害される方もいるかと思われることを、先にお詫びしておきます。
<死にたい理由>
・北海道・滝川市の小学校6年生女子が学校の教室で首を吊って自殺。遺書には『キモイと言われてつらくなった。みんなは私が嫌いでしたか?』と書き残されていた。
・福岡県筑前市。中学生男子が自殺。『お父さん、お母さん、ダメ息子でごめんなさい。いじめられてもう生きていけない。』と綴られた遺書を残す。弔問に訪れた教師を、父親は「息子を返せよ、早く!」となじる。
・岐阜県でも中学生女子がいじめを理由に自殺。
毎回共通することだが、『いじめを苦にして自殺』という事件は、一度ニュースになるとその後しばらく連続する。
それもそのはずだ。
マスコミがこぞって、自殺した子を悲劇の主人公に仕立て上げてしまうからだ。同じような境遇にある子供がそれを見たら、いつまでいじめられて苦しい思いをしているよりは、いっそ自殺してみんなに可哀想がられた方がいいやと考えるのも無理のないことだろう。
彼等にとって自殺は、単に現状から逃れたいという以上に、自分を蔑み理解しない周囲の人間達に思い知らせるため、復讐と、歪んだ自己主張でしかないように私には思えてならないのだ。
今、自殺を考えているキミに問いたい。
何故、死にたいのか?
私は『自殺』も人生のひとつの選択だと考えている。だから大上段に構えて「死んじゃダメだ!」なんてことは言わない。遺書を残さなくとも「今、死にたい」と望むなら、止めはしない。
だが、恨みつらみを遺書に書き残さなければ死ねない、愚痴の延長のような自殺なら、ばかばかしいからやめておけと言いたい。
マスコミや周囲の人々もしばらくの間は「可哀想」だの「学校が悪い」「社会が悪い」だのと、キミを助けなかった者たちを糾弾してくれるだろう。キミを苦しめた学校や級友に、復讐もしてくれるかもしれない(もっともどうせ死んでしまっているキミには見ることも聞くことも叶わないのだけど)。でもそんなものは僅か数週間だけだ。すぐにキミのことなどみんな忘れる。
たかが、いじめで自殺した子供のことなんか、誰も覚えてはいなくなる。
キミは悲劇の主人公ではなく、ただの『負け犬』でしかないのだ。
<なんにも悪いことしてないのに……>
かく言う私も、学生の頃にいじめられた経験がある。
当然「死にたい」と思ったこともあるし、部屋の隅で泣いたことも何度もある。
でも、いじめられるのには『理由』があるのだ。
まるであてこすりのようにこれ見よがしに教室で首を吊るようなヤツは、やっぱり『キモイ』だろう?
『ダメ息子でごめんなさい』だの『もう生きていけない』だの、いかにも「可哀想」と言ってほしいのが見え見えのヤツも、はっきり言ってウザイし。
本人達にはそのつもりがなくても、もしかしたら普段からこういったヒロイン気取り的な部分が表に出ていたのかもしれない。そしてそれが、鼻につく場合もある。不愉快に感じるひともいるのだ。
私の場合は、知ったかぶりだったり独善的だったり、人見知りで周囲になかなか馴染めなかったり……というあたりが原因だったのではないかと思われる。努力して直せるものもあれば、どうやっても直せないものもある。いまだに私の中の特性として残っているものもある。別にこういったものは置き換えれば『個性』とも呼べるので、自分が気に入っているなら直す必要はないだろう。ただ、それを不快に感じるひともいるのだということは覚えておいた方がいい。何故自分が嫌われてしまうのか、それが判らなければ対処のしようもないからだ。
当時の私は、とりあえず人前で偉そうなことを言うのは控えるようにした記憶がある。あとは、からかわれてもムキになって反論したり泣いて帰ったりはせず、冗談で返しているうちに、いじめる側も飽きたのか自然と悩みは消滅した(もっとも、私の時代よりも今のいじめの方が陰湿になっているかもしれないが)。
いじめられて苦しんでいるキミは、すべての責任を他人に求める前に、まず自分にも非がないか、もう一度よく考えてみてほしい。
<誰の子供だ?>
もうひとり、自分にも非がなかったか考えてほしい人物がいる。
学校の先生?
いや、そうじゃない。
親だ。
確かに子供に自殺されてショックだろうし、悲しいだろう。でも、子供が自殺するまでその苦しみに気づかなかった(あるいは気づいても手を差し伸べなかった)親に、果たして学校側を断罪する権利があるのだろうか?
所詮、学校の教師にとって自殺した子供は、30人だか40人だかもいるクラスの生徒のひとりにすぎない。ましてや、彼等の仕事は子供に知識を与えることと、集団生活を覚えさせることだ。それ以上のものを望んでも、それはムリだろう。
毎日顔を合わせて、1日に1度くらいは同じテーブルで食事をしているのでしょう? 自分の子供なんだから、もっと関心を持ちなさいよ、と言いたい。
そしてもし、なにか変だと感じたら、手をこまねいていないで子供ときちんと話をすればいい。必要なら、転校や刑事事件にすることもできるんだから、と、自分は味方だからと子供に言ってやればいい。
仕事が忙しいとか世間体が悪いとか、そんなことを言っている場合ではないでしょう?
あなたがよその家の子供に対して親身になれないのと同様に、他人はあなたの子供のことを一番には考えてくれないのだから。
<死ねば皆いいひと>
腹を切って責任を取る。
そういう風習のあった国だからか、どうも日本人は自殺者を美化する傾向にある。
先日も、高校の必修科目未修の一件を苦にしたとある校長が、保護者への説明会の前日だかなんだかに自殺するという事件があった。テレビ番組のコメンテーターが、その校長は普段から責任感の強いひとだったらしいから、と解説していたが、結局自分は説明会には出なかったわけだろ? それって無責任なんじゃないのか? ただでさえ動揺している生徒のことを考えたら、本当に責任感のある人間ならとてもじゃないが自殺なんてできないだろう。
死ねば英雄(あるいはヒロイン)。
この世相を正さない限り、自殺者の数が減ることはないと思うのだ。
<報道のあり方>
ただひとつ間違ってほしくないのは、いじめの問題で誰が悪いかと言ったら、それはいじめをした者達にほかならない。言葉であれ、暴力であれ、ひとをそこまで傷つけ、追いつめた罪は重い。
あまりに目に余る場合は、私はどんどん刑事事件にしてしまっていいと思っている。教師や親がいじめの抑止力として欠けるのなら、法の裁きを受けさせて、後続の者達への見せしめとするのがいいのだ。学校側とて、自殺者を出して吊るしあげを喰らうよりは、いっそ警察沙汰にしてしまった方が不名誉ではないだろう。
しかし、それを大前提とした上で、なお、私は自殺した子供とその親に厳しくありたい。
確かに、いじめを受けて苦しんで苦しんで死を選んだ子供は可哀想だし、その親もとても哀れだ。だから誰も口に出しては言えないのだろうが、『いじめによる自殺』の連鎖を断ち切るためにも、マスコミにはぜひとも、死者を鞭打ってほしいと思うのだ。
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